せっかく助かった顔だから、大事にしよう。いろんな表情で、生きよう。

メンタルヘルス・精神科通院

【注. 虐待、暴力の経験の詳細な記述を含みます。ご留意ください

いい子になれなかった。

「いい子」というのは、親の言うことをよく聞くような、「私の母親が理想とする子ども」のことである。
私は自分を抑えて生きることができなかったから、いい子にはなれなくて、毎日のように母親に自分を否定されていた。

10年以上前のその日も、今から思うと些細なことでひどく怒られてしまった。

私はいつものように俯いて、ヒートアップする母親の怒りをやり過ごそうとしていたのだが、

気づいたら強い力で顔を床に踏みつけられていた。
顔面を強打し、前歯が折れ、鼻血と口内の出血で私の顔はぐちゃぐちゃになった。

呆然とする私のそばで、母親は自分のしたことに動揺したのか、泣きながら近くにいた他の家族とこんなやりとりをしていた。

「マキの顔、あった?」
「…うん」
「お母さんね、マキの顔が無くなるといいなと思って踏んじゃった」

その日以来、
「カワイイ」、「カッコいい」、「ブス」、
そういったこと以前に、自分の顔には価値が無いと思って生きてきました。

意識的にそう思っていたというよりも、自然にそのような態度で生活していたという方が正しいかもしれない。

自分の顔が写った楽しそうな写真をSNSに載せることもあったが、それは、「顔を消そうとした人への反抗や復讐」という理由からだった。

残念でした、私の顔は、今も無くならずに存在していますよ。

そんな気持ちだった。

顔に価値があると思えないことに加えて、精神面でも身体面でも自分をケアするということの意味がよく分からなかったから、
日々のスキンケアを大事にしよう!なんて世間で謳われていても、何のためにそんなことをしているのか全くピンと来なかった。

しかし、そこから10年以上経ち、ふと、最近こう思うようになった。

せっかく助かった顔だから、大事にしよう。
いろんな表情で、生きよう。

「せっかく産んでもらった命なんだから」といったフレーズは、生みの親に傷つけられたから大して響かないけれど、
助かった自分を中心にして、「せっかく生き延びた命なんだから」と考えたら納得できる。

顔を大事にすることに、「顔を消そうとした人への反抗や復讐」という理由をつけるのも、もったいない。
それは、私の人生なのに、自分ではなく、自分を傷つけた人を中心にして生きているということだから。

どうせ生きるのなら、自分のために生きる。
私のために、私の顔や身体や精神を、大事にする。

自ら覚悟を持ってそう思えるようになるまでに、様々な他者との関わりや、他の傷や、長い時間が必要だった。

11月は児童虐待防止推進月間です。

オレンジ色のアウェアネス・リボンと189の番号 (児童相談所虐待対応ダイヤル「いちはやく」)も、少しは世の中に広まってきただろうか。

虐待を防止するうえで、もちろん、「虐待を受けている可能性のある子ども」を気にかけることは大切だ。

しかし、虐待に限った話ではないが、事件や事故というのは、そもそも「加害者」が生まれるから「被害者」が発生する。
虐待においては、親が子どもに物理的や心理的に危害を加える状況になるから、虐待を受ける子どもが存在することになる。
虐待を根本からなくすためには、親が子どもに危害を加えずにいられる方法を考え、実行すべきなのだ。

では、どのような状況で親は子どもに虐待してしまうのか。

ときどきニュースになる、生まれたばかりの赤ちゃんを育てられなくて遺棄してしまう親。
子どもの頃に家族関係でつらい思いをして、ストレスや不満を新たな家族関係にある自分の子どもにぶつけてしまう親。
ある事件から話題になった宗教虐待のように、特定の思想を持つことで子どもの権利を侵害してしまう親。
何かに支配されていて、子どもの心身にダメージを与えるようなことに従ってしまう親…

私は、周りとのつながりがあれば、助けられた命があったかもしれないと思うことが多い。

妊娠したことを、誰か一人でも受け止めてくれる人がいれば。
心身の状態が不安定になっても、適切な支援を受けて内省し、自分の状況を管理することができていれば。

児童虐待防止推進月間の厚生労働省特設サイトにも、

ママもパパも一人で抱え込まないで」という言葉が大きく書かれている。

「虐待」というと、もしかしたら深刻な響きで遠い世界の出来事のように聞こえるかもしれないが、子どもとその親は身近にいるものだ。

自分が親になれば、どう子育てをするかという問題に直面する。
自分の子どもはいなくても、ある程度の年齢になれば友達や知り合いに子どもがいることも増えてくる。
知り合いの子どもではなくても、近所の学校に通う子どもやスーパーで家族と買い物をする子どもを見かけることもある。

普段はあまり子どもと関わりがないと感じる大人にとっても、子どもや子どもを取り巻く環境は他人事ではない。
それは、虐待の可能性は実は身近にあるということでもある。

「虐待を防ぐ活動」というと、虐待防止に取り組む支援団体に入ったり、団体にいくらか寄付をしたりということが分かりやすいイメージとして思い浮かぶかもしれない。

しかし、大きなことではなくても、最近どう?と知り合いに声をかけたり、近所の人に笑顔で挨拶をしてみたり、周りにいる他者を気にかけること
そして、いい意味で自分の人生の中心を自分にできているか、自分の心身の状態はどのようになっているのかと、自分のことを気にかけること

私は、そのような日常の小さな積み重ねが虐待を防いだり、子どもや親を救ったりするのだと思う。

核家族が増え、近所付き合いが減っていると言われる今こそ、
一人ひとりが他者とのつながりを大切にできて、さらには専門機関や公的機関にも頼りやすくなる社会を作ることがますます重要だと感じる。

この記事を読んでくださっているあなたが、今後、少しでも周りや自分を大事にした行動を取れますように。

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